2010年のNHK大河ドラマである「龍馬伝」は、福山雅治さんが演じる「坂本龍馬」が主人公になっていますが、この「坂本龍馬」の33年と言う短い生涯を、香川照之さん演じる「岩崎弥太郎」の視点から描いている作品になっています。
ドラマの内容ですが、岩崎弥太郎は三菱財閥の創始者であり、幕末時代屈指の経済人でもありました。同郷には、あの坂本龍馬がいましたが、いつも自分の前を歩いている坂本龍馬に、岩崎弥太郎が憧れていたと言う事は有名です。
しかしある日、土佐藩参政において師事していた吉田東洋が暗殺されました。この事をきっかけにして、岩崎弥太郎は坂本龍馬の事を憎む様になったと言います。
その後、弥太郎と龍馬の二人は長崎の地で再会を果たす事になります。二人は衝突を何回も繰り返しながら一緒に海援隊を盛り上げていったそうです。しかし坂本龍馬は暗殺される事になり、坂本龍馬の志でもあった「世界の海援隊を作る」は岩崎弥太郎に引き継がれ、その後の発展を遂げていく。と言う物語になっています。
出演するキャストも豪華で、龍馬の師である「勝海舟」役を武田鉄也さん、龍馬の妻「お龍」役を真木よう子さん、龍馬の姉「坂本乙女」役を寺島しのぶさん等と言った、豪華な顔触れになっています。
幕末の風雲児と呼ばれた坂本龍馬の生涯を、三菱グループの創始者である岩崎弥太郎の視点で描くと言う、面白い視点の大河ドラマは、今までにない様な感じの大河ドラマになっています。
2009年11月30日月曜日
2009年11月29日日曜日
岩崎弥太郎と三菱
土佐商会と言う会社があったのですが、明治維新が終わった後、名前を土佐商会から「つくも商会」に改名しました。明治4年に廃藩置県が行われましたが、この時に「つくも商会」の施設を譲り受けたのが岩崎弥太郎でした。
また施設を譲り受けたのをきっかけにして「三菱商会」と言う会社を創設する事になり、現在の三菱グループの原点になります。今ではお馴染みである三菱のマークは、この時定められたそうです。何故あのような三菱マークを商標にしたかと言うと、三蓋菱と言う岩崎家の紋と、三葉柏という岩崎弥太郎を認めてくれた土佐藩主山内家の紋を組み合わせたマークだと言われています。
岩崎弥太郎は元々「海援隊員」と言う事もあって、海運業にかなり力を入れていたと見られ、その功績から「東洋の海上王」とまで言われる様になったと言います。しかしその功績も空しく、52歳と言う若さで無くなる事になりました。
今の三菱グループがあるのは、岩崎弥太郎がいたからなのだと言う事が分かります。
そんな岩崎弥太郎ですが、高知県安芸駅から自転車に乗って20分程行った場所に、岩崎弥太郎の生家があります。当時はどういう所だったかは定かじゃありませんが、現在では一面田んぼと言うのどかな場所になっています。その生家は今でも残っていて、何ともいえず温かい雰囲気が出ている家になっています。車1台がなんとか通れるような道沿いに立てられていますが、その現代とはかけ離れている場所だからこそ、当時の雰囲気があふれているのかもしれません。そんな場所で育った岩崎弥太郎が三菱グループの創始者になるまでは、色々苦難も有った様です。
また施設を譲り受けたのをきっかけにして「三菱商会」と言う会社を創設する事になり、現在の三菱グループの原点になります。今ではお馴染みである三菱のマークは、この時定められたそうです。何故あのような三菱マークを商標にしたかと言うと、三蓋菱と言う岩崎家の紋と、三葉柏という岩崎弥太郎を認めてくれた土佐藩主山内家の紋を組み合わせたマークだと言われています。
岩崎弥太郎は元々「海援隊員」と言う事もあって、海運業にかなり力を入れていたと見られ、その功績から「東洋の海上王」とまで言われる様になったと言います。しかしその功績も空しく、52歳と言う若さで無くなる事になりました。
今の三菱グループがあるのは、岩崎弥太郎がいたからなのだと言う事が分かります。
そんな岩崎弥太郎ですが、高知県安芸駅から自転車に乗って20分程行った場所に、岩崎弥太郎の生家があります。当時はどういう所だったかは定かじゃありませんが、現在では一面田んぼと言うのどかな場所になっています。その生家は今でも残っていて、何ともいえず温かい雰囲気が出ている家になっています。車1台がなんとか通れるような道沿いに立てられていますが、その現代とはかけ離れている場所だからこそ、当時の雰囲気があふれているのかもしれません。そんな場所で育った岩崎弥太郎が三菱グループの創始者になるまでは、色々苦難も有った様です。
2009年11月28日土曜日
岩崎弥太郎の生い立ちは
岩崎弥太郎(1834から1885年)は現在の大企業、三菱グループの創始者で有名な人物です。三菱グループの創始者である事は知っていても、高知県安芸市出身で坂本龍馬と関係が有ったと言う事は意外にも知っている人はあまりいないのではないでしょうか。
その岩崎弥太郎の生誕の地である高知県安芸市には、生家が今でも大切に保存されていて一般公開もされているそうです。
その岩崎弥太郎ですが、1834年(天保5年)にその時は地下浪人であった岩崎弥次郎の長男として産まれました。弥太郎はその奇才ぶりを最大限に発揮していた様で、10数歳で漢詩を他人に献じたり、書を講じたりしていました。その秀才ぶりが第13代土佐藩主である山内豊照に認められたそうです。この時弥太郎はわずか14歳と言う幼さでした。
しかし、そんな秀才ぶりも何処へやら、幼い頃には畑などを荒らしたりして周囲を困らせるかなりの悪ガキであった様です。
そんな弥太郎がどう思いを巡らせていたのか、21歳の時に江戸に単身で遊学に行く事になりました。江戸で一生懸命勉学に励んでいた様ですが、1年経ったある日、自分の父親が投獄されている事、その理由が酒席での喧嘩が原因だったと言う事を知り、高知に帰り父親の免罪を訴えました。しかし逆にその事が原因で弥太郎自身も投獄されてしまい、村を追放されることになったのです。と言う様な波乱万丈な人生の幕開けが、岩崎弥太郎の生い立ちです。その後にも色々な業績を残す事になります。
その岩崎弥太郎の生誕の地である高知県安芸市には、生家が今でも大切に保存されていて一般公開もされているそうです。
その岩崎弥太郎ですが、1834年(天保5年)にその時は地下浪人であった岩崎弥次郎の長男として産まれました。弥太郎はその奇才ぶりを最大限に発揮していた様で、10数歳で漢詩を他人に献じたり、書を講じたりしていました。その秀才ぶりが第13代土佐藩主である山内豊照に認められたそうです。この時弥太郎はわずか14歳と言う幼さでした。
しかし、そんな秀才ぶりも何処へやら、幼い頃には畑などを荒らしたりして周囲を困らせるかなりの悪ガキであった様です。
そんな弥太郎がどう思いを巡らせていたのか、21歳の時に江戸に単身で遊学に行く事になりました。江戸で一生懸命勉学に励んでいた様ですが、1年経ったある日、自分の父親が投獄されている事、その理由が酒席での喧嘩が原因だったと言う事を知り、高知に帰り父親の免罪を訴えました。しかし逆にその事が原因で弥太郎自身も投獄されてしまい、村を追放されることになったのです。と言う様な波乱万丈な人生の幕開けが、岩崎弥太郎の生い立ちです。その後にも色々な業績を残す事になります。
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